小さな flaneur のテキスト

1985年4月4日、東京生まれ。

平成とNPO ―― 共感の集団感染と、個人の愛を道徳化した30年について

「古い名を暫定的かつ戦略的に保存する必要がある」と言及したのは、仏国の哲学者 ジャック・デリダによる1972年のテキストだ。

新しい概念が浮上したとしても、「古い名」は維持したままで、同時に新しい概念として二重化することによって、脱構築の効果を発揮すると。

平成が終わって、初めての夏が過ぎた。平成の30年間で、NPOは「古い名」になったように思う。

平成30年はちょうどNPO法施行20周年だった。平成最後の一年は、NPO業界の20年の歩み、次の20年の展望、20年前にNPOが目指していた市民社会について全国で議論された。

NPOは生まれたときから、全ての時間が平成だった。すべてキャリアが平成だったNPOは、平成の終焉とともに、歳を重ねて「古い名」になった。

なので、新しい概念を浮上させるのもいいのかもしれない。けれどもぼくはこの古い名を、暫定的かつ戦略的に保存したいと考える。そのためには、古い名となったNPOに内在化する障害物を見出す必要があるのではないか。

内在化する障害物とは何か。それはラカン読解から固有名論、イデオロギー批判を扱った、スロベニアの哲学者 スラヴォイ・ジジェクによる1989年の著作に現れている。

全体主義ファシズム)は、目指すユートピアの不可能性、あるいは社会が抱える内的否定性(混乱・崩壊・腐敗)を、「ユダヤ人」にイメージを「投影」したと彼は示した。「ユダヤ人」は根本的障害を具現化するフェティッシュであったと。

もちろん、全体主義ユートピアを獲得できないのは、ユダヤ人のせいではない。 あたかもユダヤ人を排除すれば、秩序・安定・同一性を回復できるような障害物のように見ているのだと。

極端な言い方をすれば、「ユダヤ人」を「反アベ」に入れ替えても間違いないのではないか。「ユダヤ人」に帰せられている諸属性の中に、社会システムそのものの必然的産物を見てとらねばならないとジジェクは展開する。 「ユダヤ人」に帰せられている「過剰」の中に、ぼくらが内在化している真実があると。

ユダヤ人」と入れ替えるのは、反アベでも、#MeToo運動でも、ポリコレ棒による炎上でもいい。リベラルないし、左派ポピュリズムに内在化する障害物である。あたかも反アベで解決すると思っているような。

NPOが目指す市民社会の実現には、内在化する障害物を通過し、この症候と同一化しなければならない。症候に同一化するとは、「過剰」の中に、つまり事物の「正常な」状態の混乱の中に、その真の機能に導く鍵を見出すことである。「古い名」となったNPOをハイパーアップデートするには、この段階が必要ではないだろうか。

内在化する障害物について先んじて言うと、平成の市民運動は「消費社会」の巨大な波の一部になった。洗練された消費者マーケティング市民運動を牽引している。対立軸で捉える共感の集団感染は形成できたが、市民社会は実現しなかった。NPOが目指していた市民社会は未だ空想の中にある。

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戦後運動史・NPO史の1945年から2018年を、平成NPOの土台となった戦後昭和の時代と、平成元年から10年、平成11年から20年、平成21年から30年の4つの時代に分けていく。ぼくがそこから学び、印象の強い市民運動NPOを取り上げていき、内在化する障害物を見出していく。

戦後昭和の時代で印象強い出来事は2つある。1つ目は、1954年の主婦の読書サークルから始まった「原水爆禁止運動」。2つ目は、1968年の雑誌「ホール・アース・カタログ」の創刊だ。

1955年に広島で世界大会が開催された「原水爆禁止運動」は、1954年に杉並区の主婦の読書サークルから始まった。個人の問題意識から世界を動かすキャンペーンは平成にも通ずる、戦後の市民運動の原点と言える。

この運動が1965年の生活クラブ(現在の生協の連合会)の結成につながっていく。60年安保闘争で挫折した運動家たちが、原水爆禁止運動の主婦たちの協力を得て、生活クラブは誕生した。

そして70年代は、生活者、住民、市民が抱く問題意識をテーマにした市民運動が頭角をあらわす。世界中に広まっていたウーマン・リブによるフェミニズム運動や、エコロジーをテーマにした新しい社会運動が日本でも起こった。62年に刊行され、殺虫剤の毒によって死にゆく沈黙の村を描いたレイチェル・カーソンの『沈黙の春』の世界的ベストセラーも後押しをした。

戦後運動史の2つ目の印象強い出来事は、1968年の米国のヒッピー向けの情報雑誌「ホール・アース・カタログ」の創刊だ。 サステナブルライフ、オーガニック、ラブ&ピース、DIY、自己教育、ネットワーク型コミュニケーションなど、さまざまな文化やムーブメントの基礎を築いたことでも知られる「伝説のカタログ」だ。

このカタログは日本の社会運動、カウンターカルチャー・ムーヴメントにも大きく影響を与えた。80年代のネットワーク論(World Wide Web)、後述するiPhoneをはじめとする技術の思想的背景にもなっている。

この2つの出来事、この時代の市民運動は「世界同時市民革命」を志向している。これに関連して、日本の批評家 柄谷行人は、カントの平和論は革命の問題であったと展開する。

独国の哲学者 イマヌエル・カントは1784年の著作において、仏国のジャン=ジャック・ルソー的な市民革命を支持していた。けれども彼は、ルソーは革命を一国だけでしか考えていないと批判した。

1789年、フランスで市民革命が起こる。一国だけの革命に周囲の国家による干渉が生まれ、革命は挫折しかけた。だが革命を守る戦争が始まり、ナポレオン戦争となった。そしてカントは1795年『永遠平和のために』を刊行する。つまりカントの平和構想は、世界同時市民革命の構想であったと柄谷は指摘する。

60年安保闘争、三井三池労働争議、68年の学生運動、そして声なき声の会、ベ平連ベトナム反戦統一行動の市民運動は、カントとマルクスが結合した世界同時市民革命を目指した社会現象であった。ユートピアを目指した戦後の学生運動、社会運動、政治運動、労働運動、市民運動住民運動の土台には、一国を超えた革命の構想があった。

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1989年のベルリンの壁崩壊、90年の湾岸戦争、91年のソ連崩壊とバブル崩壊、95年の地下鉄サリン事件。平成の最初の10年は、冷戦後の世界秩序の転換期と重なった。政府の失敗、市場の失敗、地域衰退、少子高齢化、貧困問題等、日本の構造改革が叫ばれはじめたなかで、市民運動も転換期を迎える。

そして95年、阪神淡路大震災が起こる。日本におけるボランティア元年となり、市民社会形成の道筋が見えてきた。ボランティア団体の手弁当運営から、運動は組織体としての環境整備への関心が高まる。98年、戦後の市民運動の担い手が中心となり、特定非営利活動促進法、いわゆるNPO法が成立した。

平成元年(1989年)から平成10年(1998年)は、市民運動マーケティング手法や経営マネジメント導入が模索され、それらを活用した平成の若者たちによる、市民運動の事業化への挑戦が始まった。

平成はグローバルNGOの日本進出が本格化する。89年にグリンピースジャパンの設立。国境なき医師団日本は92年に結成された。グローバルNGOの扇情的な募金活動に賛否が起きつつも、日本の市民運動に企業並みのマーケティング・広報戦略の展開の可能性が議論された。

同じくして、NPOの組織論、経営マネジメントのテキストの充実が始まる。91年は、マネジメントの父、ピーター・ドラッカーによる『非営利組織の経営』が日本語翻訳される。99年には雑誌「NPOマネジメント」が創刊され、2011年4月に終刊となったが、現在まで日本全国のNPO運営者に読み継がれる雑誌となった。

そして、平成の時代に大きな影響力を持った市民運動NPOは、平成最初の10年に活躍した若者によって生まれている。

90年、慶應大学湘南藤沢キャンパス(SFC)が開設する。97年には早稲田大学慶應SFC、AIESEC(アイセック)に所属していた学生が中心となって構成されているNPO法人ETIC.(エティック)が結成された。慶應SFCとETIC.は多数の起業家やNPO経営者の輩出を担い、次の10年に現れる「平成の社会起業家ムーブメント」を起こした。

セヴァン・スズキの伝説のスピーチで有名なブラジル環境サミットが契機となってはじまった A SEED JAPAN の設立は91年だ。同団体は、野外イベントの環境対策活動、ごみゼロ運動を、98年の FUJI ROCK FESTIVAL から展開している。 FUJI ROCK FESTIVAL は97年からスタートしており、市民運動と祭りによる動員の関係の深さがわかる。環境活動を通じた若者の市民運動は、いまでは音楽に限らず、全国の野外フェスに根付く文化となった。2014年に同団体のごみゼロ運動は分社化するほどに成長し、事業化に成功した市民運動となった。

国内で叫ばれた改革と呼応するように、平成最初の10年は市民社会への期待が集まり、市民運動NPO法という装置を手に入れた。昭和の運動・革命家からこの装置を受け取った平成の若者による市民運動は、組織の成長を目指し、経営マネジメントの導入、マーケティング手法の活用、運動の事業化に邁進していった。

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シェルピンスキーのカーペット Wikipedia より

ところで、「平成の消費社会」はこれまでの消費社会と何かが違うと思わないだろうか。日本のメディア情報学者 石田英敬が2019年の講演で示した、「シェルピンスキーのカーペット」の例えがその特徴を現している。

石田はデジタル時代の消費社会を、クリックが生む神経症だと指摘する。ぼくらはクリックすることで何か選択し、多くの意思決定ができるようになった。それと同時に、何かを選ぶことができなくなっている。コンピューターの文字の入出力のように、0か1かの判断をクリックで迫られているし、迫ってもいる。

シェルピンスキーのカーペットとは、次の工程を無限に繰り返すことで出来上がるパターンだ。正方形を始点に、正方形を3×3に分割して、中央の正方形をくり抜いていく。

上記画像のように、青色のカーペットがくり抜かれ、白い穴が無限に増えていく様を、人がクリックするたびにスカスカになり、分割され、孤独になっていく消費社会を象徴していると石田は指摘した。

戦後の市民運動は、権力者からやりたいこと、あるいはできたはずのことを選べなくなる状態、去勢されることへの抵抗であった。ところが平成の消費社会の権力論は、自分からクリックすることで去勢され、選べなくなっていくのだ。

スカスカになったぼくらは、誰かとつながることが難しくなっている。いつのまにか去勢され、微分化された集団になる。少数派となり局所戦ですら力が無くなっていく。

総力戦を実現するために、つながっていないが故につながる動員の議論が力を持ちはじめた。イデオロギーも関係なく、マイノリティーというだけでつながる運動だ。この集団形成には根拠が無い。根拠がないことで集団がつながっていく。

エルネスト・ラクラウとシャンタル・ムフの「根源的民主主義(ラジカル・デモクラシー)」、アントニオ・ネグリマイケル・ハートの「新しい連帯(マルチチュード)」がこの集団形成の理論的根拠になっている。理論上だけでなく、現実にこのロジックでしか左翼は連帯を作れなくなっている。

それは例えば、反アベでつながる、あるいは反トランプだけでつながる運動だ。世界中で起きる国民投票の分断もしかり。スカスカになりながらユートピアを目指すぼくらは、Xに対抗、反対するだけで、お祭りのように人々が集まる。

0か1かの判断に頼らざるを得なくなった消費社会において、個人はどんどん細かく、深くなって、個性は際立っていく。実質的にばらばらな個人となったぼくらは、クリックする動物になって、オートメーションに共感の群れでつながる。ユートピアは、共感の集団感染による民衆的乱交世界にある。

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平成11年(1999年)から平成20年(2008年)は、世界的にソーシャルビジネスのムーブメントが起き、日本のNPOの事業化が頭角を現す黄金時代(ゴールデンエイジ)を迎えた。ぼくもこの時代から大いに影響を受けて、社会起業家を世界中で輩出するアショカ財団のビル・ドレイトンを知り、事業型NPOとリベラルな思想に憧れて、2009年にNPOに新卒入社した。

06年にソーシャルビジネスがノーベル賞を獲得する。バングラデシュマイクロファイナンス機関グラミン銀行の受賞だ。同年には、経営戦略論の大家 マイケル・ポーターの「競争優位のCSR戦略」論文が発表される。いわゆるCSV経営(Creating Shared Value)の提唱で、企業が本業を通じて社会課題解決に乗り出す可能性が示された。

そして00年に、アントニオ・ネグリマイケル・ハートの『<帝国>』が刊行。冷戦後の左翼が最も期待を寄せている、ばらばらな個人が自由意志でつくる新しい連帯(マルチチュード)の概要を示した。現在まで続く市民運動の新しい概念が世界的に花開く時代となった。

日本で最も有名な社会起業家NPO経営者 駒崎弘樹のフローレンスは04年に設立された。他にもメディアが注目し、生活者の認知もあるNPOの設立は平成中期に集中している。例えば、食品ロスを引き取り、人々へ届けるフードバンク・ジャパン(現在のセカンドハーベスト・ジャパン)は02年。ホームレス状態の人が路上で雑誌販売をする仕組みをつくったビッグイシュー日本は03年。東日本大震災で一気に生活者の間でも知名度が上がった、国内外の緊急支援活動を支えるジャパン・プラットフォームは00年の設立だ。

若い世代による、新しい仕組みのNPO支援組織も立ち上がる。03年、慶應SFCでソーシャルイノベーションを専門に教鞭をとっていた井上英之によるソーシャルベンチャー・パートナーズ東京(SVP東京)が設立。05年、スキルを活かしたボランティア「プロボノ」を日本に普及させたサービスグラントの設立。07年、寄付先として信頼できるNPOを厳選し紹介するデータベースを運営するチャリティ・プラットフォームが設立。同団体は村上世彰から数億円の寄付を受けるなどIT起業家の支持を集めてスタートした。

これら動きはソーシャルビジネスとも呼ばれた。行政・自治体の仕組みも構築され、公共分野の担い手としてNPO、ソーシャルビジネスに期待を寄せた。03年に施行された指定管理者制度は公共施設の管理が民間事業者でも受託できることになり、NPOを含む民間事業者が多数参入する。

地域活性の担い手として、コミュニティビジネスの存在感も強くなり、00年にコミュニティビジネスサポートセンターが設立。国際芸術祭が地域活性に期待を寄せる先駆けとなった大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレの開催も00年だ。08年はふるさと納税制度施行された。

専門メディアも生まれた。99年、ソーシャル&エコ・マガジンの月刊誌「ソトコト」が創刊。06年、世界のグッドアイデアを紹介するwebメディア「greenz.jp」の創刊。07年は環境とCSRにフォーカスしたビジネス情報誌「オルタナ」が創刊された。

03年の 9.11 ニョーヨーク全米同時多発テロ、08年のリーマン・ショックが起き、社会情勢、経済が不安定になる中で、NPO社会起業家の活躍に注目が集まった。それとともに、07年は在特会在日特権を許さない市民の会)が設立され、デモ参加者が1,000人を超えた時期でもある。

そして、ネットワーク論、動員の革命を支えるインターネット技術の普及がはじまった。01年にGoogle 日本法人設立。同年 Wikipedia 日本語版開始。04年はソーシャル・ネットワーキング サービス mixi (ミクシィ) の開始。08年の iPhoneFacebookTwitter日本上陸で、市民運動が一気に加速し始める。ばらばらな個人が自由意志でつくる新しい連帯に向けて、インターネットを武器に、平成最後の10年に市民運動は踏み出していった。

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低迷する日本経済の雇用の受け皿としてNPO社会起業家に期待が寄せられ、09年に経済産業省が「ソーシャルビジネス55選」を発表。10年の民主党政権では「新しい公共」が掲げられた。日本の寄付文化の醸成を目指す日本ファンドレイジング協会が設立されたのも09年だ。同年、米国ではオバマ大統領が就任し、平成NPOの常套句にもなった「Change(変革)」のムードを携えて平成最後の10年はスタートした。

平成21年(2009年)から平成30年(2018年)は、強い刺激「祭りと動員」が常態化した時代になった。ネグリとハートが提唱した 「新しい連帯」は消費社会との相性が抜群で、スマホSNSクラウドファン ディングの普及が、個人の強い愛を支える技術となった。

11年の東日本大震災の後すぐに、国内最大手のクラウドファンディング2社がスタートする。ReadyforとCAMPFIREだ。前年には英国発で160ヵ国以上に普及し、チャリティランで有名なJustGivingが日本上陸する。

12年にはオンライン署名サイト change.org が日本上陸を果たす。個人がオンラインキャンペーンを立ち上げ、ネットユーザーの声を一気に集め、これまでにない速さで権力者、意思決定者を動かす技術が手に入った。

テクノロジー活用が市民活動に普及したのは次の2者の貢献も大きい。1人目はイケダハヤトだ。NPOSNSマーケティングを中心に情報発信、全国で講演を11年の独立後から高知県に引っ越す14年まで精力的に続けた。

2人目は13年に結成された CODE For Japan だ。同団体は技術者やデザイナーを中心に、市民が主体となって自分たちの街の課題を技術で解決するコミュニティ作りの支援、自治体への民間人材派遣などに取り組む非営利団体である。毎年サミットを開催して「シビックテック」の文化を日本に定着させつつある。

そしてテクノロジーが後押しする、動員の革命が世界各地で立ち上がり続ける。10年の「アラブの春」は、チュニジアやエジプト、リビア政権交代まで成果を出し、民主化デモにおけるSNSのキャンペーンが注目された。11年は米国の経済界、政界に対する一連の抗議運動「ウォール街占拠」が起こる。

東日本大震災後の12年は、「さよなら原発10万人集会」が日本で起こった。15年には「SEALDs」が結成された。

2019年の逃亡犯条例改正案に反対する香港デモに関心が集まる現在、香港では14年に反政府デモ「雨傘革命」が行われた。

緊急災害時以外の、世界規模の寄付キャンペーンの成功例も生まれた。 「ALSアイス・バケツ・チャレンジ」は、世界で1,700万人が参加し、米国だけでも約142億円の寄付が集まった。

そして17年は、SNS上でセクハラなどの性的被害を告白する「#MeToo運動」が、欧米とアジア圏で急速に広まる。

ガソリンや軽油の燃料価格値上げから始まった、18年の政府への抗議活動「黄色いベスト運動」は収束がみえず、マクロン仏大統領は現在も対応に追われている。

テクノロジーによる「祭りと動員」の手法は、16年のトランプ米大統領就任、イギリスのEU離脱Brexit」が起こる一因にもなり、人類の悩みの種にもなったが。

新しい連帯は、グローバル資本主義で成功を手にした「GAFA」をはじめとするプラットフォーム企業の技術との相性が抜群に良い。個人が声をあげ、集団を形成するまでのプロセスが、これまでの市民運動とは比べ物にならない速度で積みげることができるからだ。

こうして、ばらばらな個人が自由意思でつくる連帯の理論は、平成最後の10年で実装を完了した。

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平成におけるNPO市民運動は、SNSの感染で身体的に一気に集まり、一気に盛り上がり、一気に消えるカーニバル、祝祭型の運動を繰り返すようになった。

だから市民運動への参加はバリアフリーにもなった。数万人を動員する2010年代の祝祭型の新しい運動は、いま盛り上がっているから誰でも参加OKで、左翼のイデオロギーの理論的な立ち位置も考えなくてもいいし、何なら何も考えなくてもよくて、昨日SNSで知った状態でも運動に参加できるようになった。個別イシューにつながりのない同士の動員にはもちろん根拠がない。根拠がないことでつながっていく集団論だ。

例えば、当事者でなくてもみんなが差別を批判する時代になった。日本の哲学者 千葉雅也は2018年の対談本において、ポリティカルコレクトネスとは、なるべく交換がスムーズにいくようにすることだと指摘した。 #MeToo とは交換の論理であり、 市民運動グローバル資本主義の論理に回収される趨勢になっていると。

ばらばらな個人が自由意思で連帯するには、市場経済のように交換価値をスムーズにする必要がある。祝祭型でバリアフリーな共感を基盤とする市民運動が目指すユートピア、あるいは世界同時市民革命は、共同体の狭い範囲を切り崩し、国境もイデオロギーを超えて、ありとあらゆるものすべてをつなげていく。平成NPOグローバル資本主義に乗っかることで、市民参画のひとつの形を見出している。

けれども、交換の論理はときにはスムーズにいかず度々失敗する。だから消費社会のシステムそのものが抱える不可能性、根拠がなくつながる市民運動の持続可能性の困難さを、仮想敵にその否定性のイメージを投影する。そして、Xに対抗、反対することを何度も唱え、お祭りのように人々を集めることを繰り返す。

そして個人の愛(アイデンティティ)、原体験、問題意識のままでは勝てないから、道徳化してみんなのものにする必要がある。個人の愛を、市民(シティズンシップ)の権利として道徳に変換する。たとえ当事者としてのアイデンティティがなくても、実は自分が社会システムのなかで加害者の一部として加担していたとしても、「反〇〇」のスケープゴートを荒野に放つことで、道徳の名のもとにみんなで仮想敵の山羊を叩く。

イデオロギーを根拠にしない、「反〇〇」の市民運動は、個人の愛、コミュニティの目先の利益への仮想敵を作り続ける。特定の個人に焦点を絞り、近視眼的になり、ヒステリーな過剰反応、過剰な正義は、外部の刺激を求め続ける消費社会の不毛な日常のようだ。

クリックする動物の集団感染は、刺激の信号でただただ反復強化されるだけである。個人の愛を道徳化した先には、自分も誰も何も考えなくなり、自動機械の作動と同じエネルギーの流れにすぎなくなる。

グローバル資本主義に回収され続けるなら、個人の愛の道徳化すら、民主主義的に人間の平等と市民の同質性を保つために、その実現を減速させるものなら殲滅されるだろう。自由主義的に経済合理性による平等が支配し、機械学習コスパ優先の意思決定をするような、消費社会の形成にとどまる。

グローバル資本主義に回収されない運動はないのだろうか。そうでないとコスパ優先の乱交的で短命な運動ばかりになってしまう。インターネットでばらばらな個人の愛を増幅させ、道徳化させるだけで終わらない別の仕方の、持続性のある集団論はないのだろうか。

もしないのであれば、NPO社会起業家はコストと便益を計算する、最先端の官僚制的なエビデンス主義に傾倒し、社会の政策立案に今後能力を発揮していく道筋を選び取るだろう。「資本」こそ最も効率のよいメカニズムだと信奉し、テクノロジーの可能性が際限なく解放された、あらゆる差異が無効化された未来を憧憬している。

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イデオロギーを根拠にしない、根拠のない「反〇〇」でもない、集団論を考えている。

社会人ボランティア、シニアボランティアと数年に1度ぐらい同窓会的に集まることを思い出す。頻繁に連絡を取れていないこともあり、友情のような気やすい何かがありつつ、遠い親戚と話すような緊張感がいつもあった。それってまったくバリアフリーではないし、民衆的乱交世界の祝祭型ではない。おそらく訂正可能で交換可能でありながらも、顔を合わすことの強制性がある集団なのではないか。

親族的な、家族的な集団論を考えているからか、神話的歴史性の重要さを考えている。歴史性(時間性)を語り始めると、ファシズムにいってしまいそうだが、その存在を単数性でとらえず、二次創作的な複数性で捉えられないかと。集団論を単線的な進化ではなく、良い意味でオリジナルがいるからコピーとして活動できるのではないかと。

コピーとしての生命活動は再帰性がある。そして再帰性は必ず出会う偶然性のなかで単線的なコピーにはならない。神話的歴史性の運動と、ばらばらな個人による自由意思の運動は何かが違う。

『異国日記』はヤマシタトモコ作品の中でぼくにとって最高傑作だ。その第2巻で、極度に人付き合いが苦手で家族と折が合わない主人公の高代槙生(35歳・女性・小説家)が、中学から友人のダイゴについて語った内容は、親族的で時間性のある集団論の雛型かもしれないと気にかかっている。

学生時代の友人が一生ものとは言わない
大人になってからの方がかえって気の合う友達ができた
でもダイゴとかは………なんだろうな
…お互いを10なん歳から知っている人間がいてくれることは
ときどきすごく必要だった
わたしにはね
…他ではかえがきかない

素朴な交換の論理ではない、一期一会ではない、事後的で痕跡になるまで認知されないような贈与の集団論を考えている。

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