小さな flaneur のテキスト

1985年4月4日、東京生まれ。

戦後運動史、NPO史の見取り図

思い出されるとどうしてもやるせなくなる2017年の出来事は、10月にあった民進党の分裂。希望の党とのやりとり。そしてスティーブン・バノン氏とのやりとり。情報が届くたびに今世をあきらめる気持ちが止まらないのが正直な気分だ。ここまであけすけに裏表なくやられてしまうと、政治的な公のこととは何なのか考える。それに応援もしくは反対する人も含めて、その考えは見たくも知りたくもなかったよ、尊敬していたかったのにと勝手にがっかりしてしまう。私的な秘密なことがあるから、公な建前が成り立つのに、ごった煮で提供される現実を受け止めきれないでいる。

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朝のオフィスでテレビ電話の打合せをする。毎回とても気持ちよく協力してくれる方で、本人はできる範囲でといつも表現をしているが、限りなく時間を割いてできるだけ目一杯に相談にのってくれて、毎回一緒に形にしてくれる。イヤホンから声を拾いながら、とても大切な仕事のパートナーだと少なくともぼくは思っている。課題はまだあるが、今日も無事に45分の打合せが終わった。

テレビ電話の打合せの最後には、必ず手を振って終えることにしている。ぼくは対面の打合せでこの仕草を決してしない。移動時間の節約だけでなく、このコミュニケーションが自然と生まれるからテレビ電話の打合せが好きだ。お子さんと一緒に向こうも手を振ってくれて終わる。この方には今年はじめてのお子さんができた。ぼくと同じ日に生まれたと聞いたとき、まだ出会ったこともないのに嬉しさが込みあげてくることもあるのだと思った。1時間して、また別の方とテレビ電話の打合せが始まる予定だ。

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2009年、ぼくはいまの仕事を選ぶことができた。NPO業界で新卒として働き始めた。1968年の全共闘運動で学生だった代表が立ち上げてから20年続くNPO支援組織だ。この頃から日本でソーシャルアントレプレナー社会起業家)に注目が集まり始めていた。前年の2008年には、iPhoneFacebookTwitter が本格的に日本に上陸した。

2010年にアラブの春、2011年にウォール街占拠、2014年に雨傘革命、ALSアイス・バケツ・チャレンジが世界中で立て続けに起きた。2011年の東日本大震災は、インターネットで世界中が距離を越えて、いまここにある社会を変えたい気持ち、行動がつながる連帯、マルチチュード、大衆が世界を愛で思いやっていくさまに、日本人としていまのタイミングでこの仕事をできている運命に静かに興奮していた。けれども、それはゆっくりと冷めていった。

シリコンバレーで起きていること、米国、英国のNPO、チャリティ、社会起業家の活動に未来があると信じて追いかけ続けた。社会が1ミリでも動く可能性があるなら、寝食を投げ捨て飛びついた。Facebook をはじめとするネットワークの力で世界中に感動的なマルチチュードが起き続けていた。技術、テクノロジーが国境を溶かして愛と平和のテキストと音と映像を届けてくれた。だれも制御できないくらいの量で、大衆が各々の問題意識、ビジネス、政治思想を掲げることができるようになった。複雑な問題の表明、試行錯誤していくプロセス、本当の意味での民主主義はこれだと思った。

秘密を隠すことのない人間と、隠したくても秘密を隠すことができなくなった人間同士の闘いが始まるなんて想像できなかった。

民主主義は負ける人も出てくる。数年の変化にセーフティネットを準備できるわけもなく、いまここで勝ち馬、ビッグウェーブに乗り損ねないことが成功の条件、処世術になった。

いつのまにかぼくは民主主義でふるまう人間に限界を感じた。負けるのは自己責任、リバタリアンの空気がとても嫌になった。シリコンバレーが好む最善説(オプティミズム)、ライプニッツ的な信念に苦しくなった。ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」のイワンがアリョーシャに向けた言葉が頭を打つ。いまここの子どもたちが犠牲になるのは見過ごせというのか、失敗と犠牲があったからこそいまの素晴らしい世界があると正当化するなど認めないという主張だ。

そしてやがて世界のフィナーレ、永久調和の瞬間すばらしく価値ある何かが起こり、現れて、すべての人間の心を満たし、すべての怒りを鎮め、人間の罪や、彼らによって流されたすべての血をあがなう、しかもたんに人間に生じたすべてを許すばかりか、正当化までしてくれる、とな。/でもな、たとえそうしたことがすべて生じ、実現したところで、このおれはそんなものは受け入れないし、受け入れたくもない!やがて平行線も交わり、おれ自身がそれをこの目で見て、たしかに交わったと口にしたところで、やはり受け入れない。/これがおれの本質なのさ、アリョーシャ、これがおれのテーゼなんだ。(『カラマーゾフの兄弟 2』亀山郁夫訳、二一九頁)

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10月の民進党の分裂は、日本にリベラルを掲げる政党がなくなってしまうと絶望になった。11月には分裂のきっかけとなった前代表は辞任。12月、彼は自身の公式SNSで、白人至上主義の保守系ニュースサイト「ブライトバート」会長と固い握手を交わす写真を添える。一貫した政治思想を感じることができないのはぼくだけであろうか。いまここの勝ち馬に乗り、失敗や犠牲があったとしても、最終的に成功すればいい。すべての政治が最善説であるなら辛い気分になる。

ぼくは2005年から投票権を得て以来、欠かさず選挙に参加してきた。民進党(旧:民主党)に投票し続けてきた。2010年に民主党政権が誕生したときは、自分の投票行動が政権交代につながったと感動した。政権が変わっても、何かを信じて投票し続けてきた。2016年の都知事選、悩んだ末に投票した候補者が見事当選をした。そして民進党が分裂した。絶望を生んだのは自らの投票なのだ。本当にうんざりした。ぼくもまだみぬ未来をあきらめず、これも最善説で仕方ないと割り切れたらいいのに。

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日中の仕事のやり取りは主にメールとFacebookのメッセージ機能で連絡を取り合っている。ぼくのFacebook は仕事のクライアントの投稿が9割近くを占めている。同じようにクライアントも仕事時間中にFacebookを活用しているので、最新情報が自然と届く。

ひとり親家庭に一流のクラシックコンサートをクリスマスに贈るプログラム。とてもいい。クラウドファンディングサイトが選ぶ年間ベストプロジェクトに、貧困家庭の子どもが活用できる塾費用のクーポン券を提供するプロジェクトが選ばれる。全国初の行政、NPO、企業、市民協働(コレクティブインパクト)による教育格差解消プロジェクトの次の展開に期待したくなる。続いて、ウガンダのシングルマザー支援、カンボジアの農村女性とのアパレルブランドの立ち上げ。

それぞれの投稿に応援のコメント、連携が始まりそうなコメントがついている。社会の課題解決に向けてパワフルにネットワークの力が機能しているのがリアルタイムに飛び込んでくる。多文化共生、生命尊重、平和、人権擁護、フェミニズム、テーマを越えるネットワークの連帯の勢いが止まらないように思える。次のテレビ電話の打合せを2時間後ろに調整してほしいとあり、承諾して電話をおいた。リベラルな雰囲気の画像がブラウザの下から現れつづけていた。

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2012年、日本国内であらゆるデモ、大衆行動、異なる目標を越えて手を取り合う、連帯のマルチチュードが一気に動く。さよなら原発10万人集会、国会前抗議にともなう SEALDs 結成をはじめとする市民運動。ネット署名の Change.org が日本上陸しを果たし、大衆が企業活動、政治活動を正す。「保育園落ちた日本死ねブログ」が衆議院予算委員会まで届く。1968年の全共闘の運動ノウハウから大きな変更はないが、2010年代の市民運動、ネット動員は事例、インタビュー、回想録のコンテンツになり続けた。政治思想はいらない。中央集権的なリーダーもいらない。インターネットと愛さえあればいい。ネグリとハートが『帝国』で提唱したような、私的な問題意識から生まれる新しい運動が成功例として紹介された。

2017年、貧困問題、多文化共生、孤立化など国内で社会課題解決の取組みに共感が集まり、みんなが活用できるパワー(権力)を持ち寄ってプロジェクトを立ち上げるムードは止まらない。組織の所属有無に関係なく個人の問題意識を、君主型権力へ届けて、いまここの発言や行動を変えるプロセスが急速に受け入れられるようになった。

ぼくもいまこの業界で仕事をしていてネットワークのビッグウェーブに乗っているはずなのに、気分の高揚は訪れない。むしろゆっくりと冷めていく。

その理由に気づかされたのが2017年10月の衆議院選挙だった。選挙特番で、ぼくらは戦後民主主義をまだ定義できていない、市民運動NPOの脆弱さを指摘しながら、民進党の分裂劇を解説する有識者の言葉を眺めていた。ちょうど手元にあったロシア現代思想の見取り図を参考にして、グローバルコミュニズムリベラリズムナショナリズムの3つの政治思想に分けて、日本の戦後運動史、NPO史の変遷を見取り図にした。

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冷めた理由がはっきりした。2009年にNPO業界で仕事をはじめたぼくは、リベラリズムに憧れていたのだ。運動史NPO史においてリベラリズムの勢いが民主党(現:民進党)政権があった2012年以降に大きな出来事が生れていないことを見取り図が示してくれた。ぼくの中で強固に冷めてきたものは溶けていき、救われた気分になった。

とても明晰なったことは、市民運動NPO業界で最盛を極めているのは世界共通で国内ファーストのナショナリズム。正直寂しいが、日本国内に住まう人々の社会課題の解決は大切だと思う。同時に排外主義、ナチズム的なヘイトスピーチ運動の勢いも止まらない。連帯、マルチチュードのノウハウはヘイトスピーチフェイクニュースに活かされ、これらはビジネスにもなるため、資本力を存分に投入して大衆を動かしている。

国境を溶かすと言われていたインターネット技術は、ネットワーク内の正義を助長するのに大きく貢献している。異なる目標をもつ者同士が、お互いの愛と共感をコメントで確かめ合い、なりふり構わず仮想敵をテキストで攻撃し続ける。アメリカ・シャーロッツビルの白人至上主義者の衝突、スペイン・カタルーニャ独立の運動、日本国内においても政権与党への陰湿な選挙妨害は見ていたくない。

無理やり二項対立軸を掲げて、重要なことは運動の中身ではなく、連帯の事実で、どちらかの連帯につくのか、おまえは友(自国民)か敵(テロリスト)かを迫ってくる暴力性。政治とは何かとカール・シュミットが提唱する「友敵理論」と、ネグリとハートが提唱した「マルチチュード」の私的な問題意識が実現する政治運動が定着し、日本国内コミュニティが分断が訪れている。敵への憎悪によって、大衆の愛と共感のネットワークは権力に形を変えた。それは市民運動だけでなく、NPO業界にも幽霊のように背後に彷徨っているかもしれない。対君主型権力、規律やルールへの抵抗だけではない、ネットワーク対ネットワーク、市民運動市民運動の闘いが日夜続けられている。

やるせないこれからについて『敗戦後論』の加藤典洋が、1850年代の尊皇攘夷思想と明治150年になる2018年を関連付けた近著を引用する。

1930年代からさらに80年がたっている。世界が全体として閉塞の兆しを見せ、日本の国としての、社会としての生存の状況が厳しさを増している。そして私たちは、三度目の、尊皇攘夷思想の到来――それをもたらすべく、新たな復古的勢力が、環境を整えている状況を目にしている。嫌中韓・排外的なヘイトスピーチに彩られたものになるのか、それとも反米的な自国中心主義的な軍国主義化を唱えるものになるのかはわからない。/また、退位問題で現在の天皇の意思は現政権に「押し込め」られ、その準備する形式のもとに退位実行を促される形勢だが、これが再び社会に「尊皇」の要素を回復する道をひらくものなのかどうかも、わからない。/さらに、これは悪い冗談ながら、2020年の東京オリンピックが、やはり80年前の1940年の東京オリンピック同様、世界情勢の激変により急遽中止にならないか。その顛末も、私の知るところではない。(『もうすぐやってくる尊皇攘夷思想たのめに』加藤典洋、六六頁)

これからネットワークをつくる運動とNPOはどうなっていくのか。ぼく自身の今世はあきらめた。いまここに振り回されるものやめる。もっと時間をかけながらゆっくりと抵抗していきたい。


見取り図作成の参考文献

  • 岡本栄一、石田易司、 牧口明『日本ボランティア・NPO・市民活動年表』明石書店、2014年
  • 中村陽一 講義資料「社会デザインとソーシャル・イノベーション」、2014年
  • スペクテイター29号『ホール・アース・カタログ〈前篇〉』幻冬舎、2013年
  • 貝澤哉、乗松亨平、畠山宗明、東浩紀、松下隆志『ゲンロン6 ロシア現代思想Ⅰ』株式会社ゲンロン、2017年