小さな flaneur のテキスト

1985年4月4日、東京生まれ。

書評:東浩紀『訂正可能性の哲学』

東浩紀『訂正可能性の哲学』2023年9月1日刊行、ゲンロン、364ページ

https://www.amazon.co.jp/dp/4907188501

NPOの仕事をしていると、未来、イノベーション、革新のキーワードが自然と目に入ってくる。ぼくたちは世界を変えられるのか、どうしたら「ルール・チェンジャー」や「ゲーム・メイカー」になれるかを日常的に考える。

けれども毎日の仕事は地道なことが多い。当事者と向き合うことにお祭り的な派手さは必ずしも求められない。寄付やボランティアを通じて一緒に活動する人たちとのコミュニケーションでも派手さより誠実さが求められることが多い。

仕事を祝祭型にしなくとも、SNSやメディアの注目を集めるブランディング戦略を立てて、自分の人生と現代の大きな物語をつなげることで何かが変わるかもしれない。けれどもこれが世界を変える方法なのだろうか。

東浩紀の『訂正可能性の哲学』は、これらの問いとNPOで仕事をすることの意味を大いに考えさせてくれる。AI・アルゴリズム時代の民主主義と公共性のあり方、当事者の声とその支援者と一緒につくるコミュニティづくり、そしてNPOの運動論において大変重要な一冊である。

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NPOへの寄付と宗教への寄付の違い—— 来るべき公共性、あるいは、神の存在が無い古代中国の啓蒙の到達点

2022年7月8日の「安倍晋三銃撃事件」のあの夏から、日本社会は旧統一教会の問題にケアをし続ける世界に一変した。同年12月1日には異例のスピードで被害者救済新法案が国会に提出された。この法案の名称は「法人等による寄付の不当な勧誘の防止等に関する法律案」であり、その名の通り、宗教法人に限らず、個人から法人や団体への寄付一般が対象となる。

寄付をする行為は何が引き金になるのだろうか。寄付をする心とは道徳心が高いことなのか。寄付先はどのように選べばいいのだろうか。悪質な宗教法人に寄付をして生活の全てが崩壊してしまうのと、それ以外の法人に寄付をすることは同じなのだろうか。

ところで、寄付の名称は多様だ。寄付、献金喜捨・布施・賽銭、寄進・奉納・初穂料、募金・カンパ、遺贈・贈与、ふるさと納税クラウドファンディング投げ銭・スーパーチャットまでを、寄付という名をめぐる行為と考えていいかもしれない。

寄付の対象と手段も多様である。金銭・金券・有価証券、物品(動産)、不動産、役務(サービス)、権利(著作権等)、ボランティア(労働の提供)、現金、振込、クレジットカードなどを含めて考えることができる。

寄付をする行為とその心境、そしてどこに寄付をするかの選択は、実は誰もがしたことがあるからこそ議論ができる、古くて新しく、とても現代的なテーマなのだ。

なぜぼくらは宗教的なものに寄付をしてしまうのだろうか。あるいは宗教への寄付と、NPOへの寄付はどこが似ているのだろうか。

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書評 : ユク・ホイ『再帰性と偶然性』

ユク・ホイ『再帰性と偶然性』2022年2月12日刊行、青土社、435ページ

https://www.amazon.co.jp/dp/4791774469

香港、パリ、ロンドンの現代思想界で急速に注目を集める若き俊英による、近代のテクノロジーを根本的に問い直す、2019年の著作『Recursivity and Contingency』の待望の翻訳書。

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新しい生活様式が生み出した21世紀の透明人間——加速主義者が描くデジタル・パノプティコンの夢

倫理と道徳のどちらが優れているのか。区別をして選択をする対象なのだろうか。この二項対立の設定をしてしまってから、ぼくはNPOの具体的な現場活動の本質を探そうとし、あるいは普遍的な価値を追求しようとし、答えの出ない期間が続いている。

NPOやコミュニティの活動において、共感マーケティングや物語(ナラティブ)を誰もが口にする。企業活動でも注目されるキーワードになった。自分ごと、当事者の言葉が広く世間に知られたタイミングと同じくして、共感はもてはやされる言葉となった。

この反動で、共感の言葉をできるだけ使いたくない、当事者に本当に共感することなど不可能だと、拒もうとするNPOの人たちもいる。当事者になれない自分は、本当の共感など不可能だというように。

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書評:宮﨑裕助『ジャック・デリダ――死後の生を与える』

宮﨑裕助『ジャック・デリダ――死後の生を与える』2020年1月26日刊行、岩波書店、376ページ

https://amzn.to/3jhMbvz

フランス現代思想を代表する巨星、ジャック・デリダ。著者はデリダ研究および、イマヌエル・カントの美学、崇高論が専門。「生き延び」や「死後の生」、「動物への問い」をキーワードに、デリダの晩年の思想が読み解かれていく入門書。第12回表象文化論学会賞(2021年)受賞作品。

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書評 : 古田徹也『言葉の魂の哲学』

古田徹也『言葉の魂の哲学』2018年4月10日刊行、講談社選書メチエ、256ページ

https://amzn.to/3hvrzPr

ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン研究者として専門書から入門書まで執筆する著者による、言葉を選び取る責任の倫理について論じられた内容。2019年サントリー学芸賞受賞作品。

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あなたは恐らく奴隷機械に寄付をしている

週に一度のペースで、インターネットの動画配信をしている。この仕事をするようになってから、1年以上が過ぎた。

まったくの素人だったぼくが、HDMIケーブルとmini HDMI、micro HDMIの区別、分配器を使うためのインプットとアウトプットの仕組みぐらいはわかるようになり、超基礎的なところは自力で考えてできるようになったのである。

生放送の30分前になると、機材の設定漏れがないだろうか、機材は熱くなっていないだろうかと配信以外の仕事に集中ができなくなる。生放送の5分前は、突然トラブルが起きないかと機材を見守りながら放送が始まる。1年経ったいまでも落ち着かない。

ぼくたちのこの1年は、機械に対する管理業務が加速化している。Zoomをはじめとするビデオチャットツールによる会議やイベント、SNSやメッセージングアプリのコミュニケーションに、ぼくらの仕事や日常はほぼ完全に置き換えられた。

そこでは、いかに効率よく、トラブルなく機械やサービスを利用できるかが求められている。どの業種であっても、機械操作が基本スキルとして当たり前となった。テクハラという言葉がニュースになるくらいに。

それでも人のマネジメントに比べれば、仕組みを理解して、順番通りに動かせたなら機械のマネジメントの悩みは少ない。

手順さえ間違えなければ、機械はある程度動く。機械に意思や気持ちの機微はないし、生活や給料の悩み、将来の人生設計、仕事におけるキャリアの心配などない。

人のマネジメントは配慮する領域が広い。機械に対してはこのような精神面の尊重、想像するしかないライフスタイルの事情などは考慮せず、物理的に丁寧に扱えば良いと考えると、機械ほどマネジメントが楽なことはない。

人とのコミュニケーションにおいて、Zoom越しやSNSや動画のチャットのコメントなど、機材や配信システムを経由したやりとりが圧倒的に多くなった。時折、対面で誰かと食事をするときは新鮮な喜びを感じる。

対面における新鮮な喜びと、機械を経由した効率的なやりとり。コミュニケーションの質で何かが変わり始めている。以前からぼんやりと考えていたことをより自覚した1年だった。2015年以来、ぼくはSNSで積極的な発信をするのをピタリとやめた。そうしたら、対面のコミュニケーションでずいぶんとおしゃべりになった、例えばそのような質的変化だ。

相手や社会があることを意識して、SNSで発信していたが、SNSの相互コミュニケーションと、対面の相互コミュニケーションは、五感の情報量はもちろん、話しの質までがかなり異なると、当たり前のことを思いなおすようになった。

コミュニケーションはメディアの変遷によって変わり続けてきた。媒介する何か、接触するメディア、インターフェイスによって、21世紀に生きる人間の行動の変化について、あらためてとらえなおすタイミングではないだろうか。

寄付や署名行動の質的変化が起きているのではないだろうか。ぼくはNPO業界で仕事をしながら考えている。

寄付の本質、署名の本質の解明については、先行する研究者や実践者が多く語ってきており、本質論はそちらに譲りたい。本質ではなく、接触するインターフェイスによる行動の質的変化を見ている。

社会貢献活動に参加する一個人にとって、 対面の街頭募金や署名行動と、ネットや特にスマートフォンによる寄付や署名行動において、寄付の質、署名の質が変わってきているのではないだろうか。

寄付する瞬間、あるいは署名する瞬間に人間の五感を刺激する、接触インターフェイスを3つに分けて、図表を作成した。共通して聴覚の刺激はありつつ、図表の一番右の列「触視=触覚+視覚」について、大きな変容が見えてくる。

非営利組織や社会貢献団体が、寄付や署名活動を洗練させるためのヒントが隠れた図表となった。あるいは、最新と言われている寄付や署名の手法に、納得していない人の違和感が解明される図表ではないだろうか。

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